張士誠を攻める
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/11/30 16:56 UTC 版)
西の陳友諒を滅ぼした朱元璋は、東の宿敵張士誠の攻撃を決意する。1366年、張士誠は江陰を攻めてきたが、朱元璋は自ら軍を率いてこれを撃退する。張士誠が逃走したので、朱元璋は康茂才に追撃を命じ、浮子門でこれを破った。さらに淮安でも勝利し、湖州に軍を進めた。ついに張士誠と尹山橋で決戦し、康茂才の奮戦でこれに快勝する。敗れた張士誠は平江の城に籠もるが、朱元璋に包囲され、敗れた。康茂才はこの時の功により、同知大都督府事兼太子右率府使に昇進した。
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