建設用地
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/11/24 02:50 UTC 版)
「第二次世界大戦記念碑」の記事における「建設用地」の解説
1994年10月、大統領は第二次世界大戦記念碑がワシントンD.C.の中心街並びに他の記念碑の近隣に建設されることを定めた法律である、共同決議案第227号に署名した。翌1995年1月20日、アメリカ戦闘記念碑委員会と記念碑顧問委員会は、記念碑の建設用地について最初の共同委員会を開いた。この委員会には、美術委員会(Commission of Fine Arts、略称CFA)、アメリカ合衆国首都計画委員会(National Capital Planning Commission、略称NCPC)、アメリカ合衆国首都記念碑委員会(National Capital Memorial Commission、略称NCMC)、そして国立公園局と、合衆国陸軍工兵隊も参加した。 以下の様々な建設予定地候補が、政府機関によって慎重に審査された。 アメリカ合衆国議会議事堂前リフレクティング・プール周辺―サード・ストリートとユリシス・S・グラント・メモリアル間 コンスティテューション・ガーデンズ―東端、コンスティテューション・アベニューとレインボー・プール間 フリーダム・プラザ―ペンシルベニア通り14、15番ストリート間 他の建設予定地候補 タイダル・ベイスン―北東側、タイダル・ベイスン駐車場東、14番ストリート橋連絡道路西。 ウェスト・ポトマック・パーク―オハイオ通りとポトマック川北岸間、フランクリン・D・ルーズベルト記念公園北西。 ワシントン記念塔敷地内―コンスティテューション・アベニューの14番、15番ストリート間、国立アメリカ歴史博物館西。 アーリントン国立墓地周辺のヘンダーソン・ホール―この場所は様々な要因から使用不可であったため候補から却下。 最終選考で現在のレインボー・プールの位置に記念碑の建設が決定されたのは、1995年10月5日であった。記念碑のデザインは建設前から存在していたレインボー・プールに合わせたものと思われる。場所はワシントン記念塔から17番ストリート道路を渡り、コンスティテューション・ガーデンズの場所に近接するところに位置している。
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