廣瀬健一
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廣瀬 健一(ひろせ けんいち、1959年7月5日 - )は、日本の実業家。福岡放送代表取締役社長。元日本テレビ放送網取締役執行役員日テレラボ室・65年プロジェクト担当、経理局長・日本テレビホールディングス経営管理局長、日テレイベンツ非常勤取締役、元プロデューサー。麻布高等学校、国際基督教大学卒業。
広瀬健一
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広瀬 健一(ひろせ けんいち、1964年6月12日 - 2018年7月26日[1][2])は、オウム真理教元幹部・元死刑囚。東京都出身。ホーリーネームはサンジャヤ。オウム真理教の階級は菩師長だったが、地下鉄サリン事件直前に正悟師に昇格した。
注釈
- ^ 当時、大学の附属高校に在籍していたために希望する学部、学科に無試験で進学できる状況にあったなど、無常観を抱くような外的要因はなかった。
- ^ 心理学者ウィリアム・ジェームズも、人生のあらゆる価値に対する欲望が失われていく「憂うつ」状態から、心休まることのない問いに駆り立てられ、人が宗教や哲学に向かうことを指摘している(参考:ウィリアム・ジェームズ『宗教的経験の諸相上』桝田啓三郎 訳 岩波文庫)。このような自己認識の危機は、思春期から青年期の生理的不安定により起こることがある(参考:マイケル・パーシンガー(英語: Michael Persinger)『Neuropsychological Bases of God Beliefs』Praeger 1987)
- ^ 例えば、ギャランターは、突然の宗教的回心によって多数の精神科医がキリスト教のファンダメンタリストの信条を受け入れたことを指摘している[出典6]。ファンダメンタリストとは、たとえ常識に反する教えでも、経典を字義どおりに真実と信じる人。
- ^ 。ギャランターによると、突然の回心者は「奇妙で破壊的な適応」に至る場合がある。つまり、加入したカルトの思考・行動様式に従い、以前の生活を破壊するような奇妙な思考・行動をする場合がある。
- ^ 広瀬の入信前の1年半の間は年に約40人の割合で在家信徒が出家したが、入信後の1年間には約200人が出家した。特に、教団が在家信徒に対する出家への誘導を激化させた1988年12月から翌年3月までの4か月間には、約100人が出家した。(広瀬に関する訴訟関係書面参考)この状況から、当時、教団に信徒を出家させる影響力があったことは明らか。
- ^ そのほかのフラッシュバックとして、広瀬は麻原やその側近の公判に証人出廷する日などオウムが強く意識されるときに、麻原からエネルギーが注入される鮮やかなヴィジョンや感覚を経験した。そのフラッシュバックは、1999年3月に精神科医と初めて面接した日まで断続的に起きた。妄想幻覚状態中はオウムでの種々の幻覚的経験が再発したが、その状態からの回復を境にフラッシュバックは消失した。
- ^ 広瀬は洗脳によって、一般人とは隔絶した思考システムが形成され、犯行に至った。広瀬は地下鉄サリン事件時の思考・行動について、「サリンで被害に遭う人と麻原との縁をつなぐため(当時の広瀬の認識では、麻原のエネルギーによって、乗客はカルマが浄化されて救済される)、自身の汚れが影響を及ぼさないように(自身の汚れたカルマが乗客に移って救済が妨げられないように)、麻原を観想してマントラを唱えながらサリンの袋を突いた」と証言した。麻原を観想するなどしたのは自身の汚れたカルマを浄化するためだったが、広瀬は「日常の修行で麻原を観想することによって麻原のエネルギーを得て、自身の汚れを浄化していた」と証言している。また、1995年4月23日に村井秀夫が刺されたときの思考・行動について、「村井を思念したところ、自分の気が上がる感覚(高い世界のエネルギーが自身に流入した感覚)がしたので、村井は死んで高い世界に転生しつつあると思った。このまま思念を続けると、自分の汚れが移って村井の転生に悪い影響が出ると考えて思念をやめた」と証言した。このように、広瀬は一般人とは隔絶した思考システムによって行動していた。
- ^ 1989年4月から翌年3月にかけて、麻原は主に出家信者にヴァジラヤーナの教義を繰り返し説いている。また殺人を肯定する「ポア」の教義を一般出家信者に初めて説いた1989年4月7日の説法では、出家直後の新人に異例の質問をしているが、その3名は全て後に教団の武装化に関与した科学班の所属だった。よって、麻原にはヴァジラヤーナの教義を説いて武装化要員を育成する意図があったことは明らか。『ヴァジラヤーナコース教学システム教本』オウム真理教 1994年(参考)
- ^ 睡眠や食事の制限、麻原に急かされての重労働は日常的だった。広瀬の体重は、出家前は68kg、出家中は53.5kg程度(極厳修行中はさらに減少)、逮捕から9か月後は70kg。身長は177cm。W・サーガントによると、体重が約13.6kg減少すれば、洗脳による思考及び行動様式の転換が起こりやすくなる。
- ^ この事実は、麻原の裁判で使用する目的で1999年3月に検察官面前調書に録取されたが、それ以外の場では2013年まで明らかにされていなかった。広瀬は裁判で、指示に従わないとポアされるから事件に関与したという主張はしていない。教団の秘密を守るためには信者の殺害も辞さない麻原の姿勢を知っていても、罪の重さを自覚しているために、自身の有利になるような主張を徒にしなかった。また、地下鉄サリン事件の準備中、サリンの効果を疑わせるようなことを見聞きしたが、公判では「多くの方が亡くなると思った」とだけ証言した。事件の2日前、村井秀夫から「今度のサリンは製法がいつもと異なるから刺激臭がする」と聞いた。事件当日に見たサリンは茶色だった。サリンは無色無臭なので純粋なものではないと思ったと捜査期間中に供述している。更に、事件の2日前の夕方、村井から「サリンの揮発性は水と同じくらい。息を止めて容器から容器に移し換えたことがことがある」(サリンの揮発性は低いと思わせる話)と聞いた。
- ^ 広瀬は元信者の公判で、「供述を始める前に弁護士に相談しようという希望はなかった」と証言した。死刑判決も有り得る事件で逮捕されても、恐怖心を喚起する教義に束縛されて弁護士に相談できなかったのである。また、地下鉄サリン事件でサリン中毒になり、指示されていたとおりにオウムの附属病院に行ったが、部外者にサリン中毒であることを言えず、治療を断念した(病院関係者が事情を知らされていなかった)。これらの事実は、広瀬に恐怖心を喚起する教義によって思考や行動が束縛され、自己破壊的に教義に従っていたことを示す(社会心理学者による、広瀬に関する補充意見書参考)。
- ^ 広瀬は最初に、地下鉄車内でサリンを発散させた単独行動の部分のみを供述した。オウムの犯行として供述するとより重い悪業になるので、個人の犯行として供述したのである。その後、共犯者のことを供述するまで、2、3日間再び黙秘した。地下鉄サリン事件の捜査期間中は、既に事情を把握していた捜査官から追及されても、ヴァジラヤーナの救済に関係する「ポア」などの教義や、事件の報告を麻原にしたことは黙秘した。また、霞ヶ関を狙ったことさえ供述できなかった。オウムの国を樹立するというヴァジラヤーナの救済の目的に関係するからだ。このような態度は自身の立場を不利にするだけだが(実際、第一審の論告求刑で検察から非難された)、教義に束縛されて供述できなかったのである。広瀬は地下鉄サリン事件の起訴後、麻原が出家信者に多数の子供を生ませていたことを捜査官から聞いても(この事実を広瀬は知らなかった)、信念は崩れることなく、教義に沿った解釈をした(社会心理学者による、広瀬に関する意見書参考)麻原の行動は第二天界を地球上に実現するためと思のだ。麻原は、ヴァジラヤーナは第二天界の教えであり、第二天界の王は多数の王子に各領土を支配させると説いていた。その後、広瀬は麻原のことも供述するようになったが、共犯者の公判で「麻原のことを供述するときに自分の気の動きを観察し、悪業になるか確認しながら少しずつ供述していった」と証言している。
- ^ 広瀬は脱会の理由について「教えを確かめながら進んでいけると思って続けていたけれども、実際にはできていないことに気づいて、教団から離れてすべての教えをもう一度検討したいという思いがあった」と証言した。また「神秘体験によって教義の世界観を現実として感じていた」、「信じるというより現実だった」とも証言している(以上第一審の被告人質問における証言 裁判記録参考)ことから、ポアの矛盾に気づくまで、広瀬の感覚では教義の正しさが確認されていたのである。つまり、麻原の言説を単に信じていたのではなく、幻覚的経験によって教義の世界観を現実として感じている状態で「オウム真理教の影響力を受け、自覚しないうちに思考システムが変容していた(第二審における社会心理学者の証言) 裁判記録参考)」のである。そのような自分に初めて気づき、困惑が生じて脱会したのである。(広瀬に関する訴訟関係書面参考)
- ^ ヴァジラヤーナの教義については、広瀬が自身や各共犯者らの第一審公判において証言。武装化の指示の場で麻原から聞いたこととして証言された。(裁判記録参考)
出典
- ^ a b “オウム真理教の死刑囚6人に刑執行”. NHK NEWS WEB (日本放送協会). (2018年7月26日) 2018年7月26日閲覧。
- ^ a b “オウム全死刑囚の刑執行【オウム死刑囚の刑執行 速報中】”. 共同通信社. (2018年7月26日) 2018年7月26日閲覧。
- ^ a b c d e f 佐木隆三「大義なきテロリスト」
- ^ 1998年11月27日 井上嘉浩の一審公判に証人として出廷した広瀬の証言
- ^ 『サリン それぞれの証』2015年3月20日発行
- ^ a b c d e f g h i 「学生の皆様へ」藤田庄市の依頼を受けて書かれたカルト予防のための手記。平成20年にフェリス女学院大学の大学生へ向けて書いた。
- ^ a b c d e f g h i j 第一審の被告人質問における広瀬の証言。(裁判記録参考)
- ^ William James『The Varieties of Religious Experience』Collier Books 1902(邦訳)『宗教的経験の諸相(上)』桝田啓三郎(訳)岩波文庫 1969年(参考)
- ^ Michael A Persinger『Neuropsychological Bases of God Beliefs』Praeger 1987(参考)
- ^ 広瀬に関する訴訟関係書面(参考)
- ^ 第一審の被告人質問における広瀬の証言。(裁判参考記録参考)
- ^ Kenneth Dewhurst and A.W.Beard. Sudden religious conversions in temporal lobe epilepsy. Brit. J. Psychiat.,1970,117,497-507(参考)
- ^ a b 広瀬の第一審における証言。(裁判記録参考)
- ^ 『人間改造の生理』(参考)
- ^ a b 広瀬(2019)
- ^ 社会心理学者による、広瀬に関する意見書(参考)
- ^ Marc Galanter. Cults and Charismatic Group Psychology.(参考) Edward P. Shafranske編 『Religion and the Clinical Practice of Psychology』 American Psychological Association. 1996年所収
- ^ Joseph F.Byrnes 『The Psychology of Religion』 Free Press 1984 (邦訳)『宗教の心理学』 望月一靖 丸茂湛祥(訳) 恒星社厚生閣 1987 (参考)
- ^ William Sargant 『Battle for the Mind A Physiology of Conversion and Brain-washing』 Heineman 1957年(邦訳)『人間改造の生理』 佐藤俊男(訳) みすず書房 1961年(参考)
- ^ 「クンダリニーの覚醒」と「クモ膜下出血」、「魔境」に関しては、『超能力秘密の開発法』 麻原彰晃 大和出版 1986年 (参考)
- ^ 『生死を超える』 麻原彰晃 オウム出版 1986年、『マハーヤーナ・スートラ』 同 1988年 参考
- ^ a b c d e 社会心理学者による、広瀬に関する補充意見書(参考)
- ^ 第一審の被告人質問における証言。(裁判記録参考)
- ^ 広瀬の第一審における共犯者の証言。1990年に広瀬から聞いたこと。(裁判記録参考)
- ^ 共犯者による陳述書参考
- ^ 『滅亡の日』 麻原彰晃 オウム出版 1989年 (参考)
- ^ 『尊師ファイナルスピーチII・説法集[上]』 オウム真理教発行 (参考)
- ^ 同幹部が当時作成したメモ(参考)。精神科医らによる、同幹部に関する心理鑑定書に記載。
- ^ a b c d 江川紹子「魂の虜囚―オウム事件はなぜ起きたか」中央公論新社
- ^ (第一審の被告人質問における証言、または第一審時の供述。(裁判記録参考)
- ^ 以上の出家の意思については、第一審の被告人質問における広瀬の証言。(裁判記録参考)
- ^ 広瀬の第一審における母親の証言。(裁判記録参考)
- ^ 広瀬に関する補充意見書(参考)
- ^ 高橋紳吾 カルトにみる救済論と精神医学(参考)臨床精神医学講座 第23巻多文化間精神医学 中山書店 1998年所収
- ^ 広瀬の第一審における証言。(裁判記録参照)
- ^ 裁判参考記録参考
- ^ 広瀬の控訴審における社会心理学者の証言。(裁判記録参考)
- ^ 「麻原による違法行為への誘導」の1989年4月25日の説法参照
- ^ 『ヴァジラヤーナコース教学システム教本』 オウム真理教 1994年
- ^ 広瀬の第1審被告人質問 裁判記録参考
- ^ 地下鉄サリン散布役の2被告、死刑確定へ…上告棄却
- ^ 『魂の虜囚』 p.290 第一審の被告人質問における広瀬の証言(裁判記録参考)。ただし、麻原本人が修行と脳内物質を結びつけて説いており、そのような情報には広瀬も以前から接してはいた。例を挙げれば、麻原は広瀬と共に出演していたロシア向けテレビ番組『真理探求』の中で、瞑想を脳内麻薬物質エンドルフィンによって説明している(『チャクラの科学』麻原彰晃 オウム出版)。逮捕後に「教義のいう意味はない」と考えられるようになったのは、「カルト会員が脱会するプロセス」を経たからである(「脱会のプロセス」参照)。
- ^ 『オウム獄中からの手紙』(2004年 NHK)
- ^ 『私はなぜ麻原彰晃の娘に生まれてしまったのか』 松本聡香 徳間書店 2010年
- ^ オウム真理教元信徒 広瀬健一の手記 真宗大谷派 円光寺
- ^ “オウム死刑囚 “最期の手紙” - NHK クローズアップ現代+”. NHK クローズアップ現代+. NHK (2018年7月26日). 2018年8月4日閲覧。
- ^ 1996年11月 第16回公判
- ^ 広瀬の第一審で麻原を証人尋問した公判における弁護人の発言(裁判記録参考)
- ^ オウム真理教で死刑執行された広瀬健一氏と私は元同僚だった。とにかく真面目で純情な人だった。 | ハフポスト
廣瀬 健一
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/06/22 01:32 UTC 版)
「廣瀬健一 (経済学者)」の記事における「廣瀬 健一」の解説
)は、日本の経済学者。2012年(平成24年)より小樽商科大学の教授を務める。専攻は国際マクロ経済学・国際金融。
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