広島大仏
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/12/31 13:39 UTC 版)
広島大仏(ひろしまだいぶつ)は、原子爆弾投下後の広島市において原爆犠牲者・戦争犠牲者を弔うために安置されたものの10年後に行方不明となり、半世紀後に奈良県で再発見された大仏である。
注釈
- ^ 『山県郡巡り道中記』、『アサヒグラフ』1950年8月30日号、『サンデー毎日』1955年8月28日号では一丈三尺と紹介。『山県郡写真帳』では一丈と紹介。『樽床誌』では約八メートルとあるが、『山県郡巡り道中記』にも「蓮台や後光も加えると二丈餘におよぶ」とある。『中国新聞』1949年9月30日、1950年8月3日、5日、1955年8月12日の各記事では一丈三寸と紹介されている。
- ^ 中国新聞 1950年8月5日では、「約1トン」と表記されている。
- ^ 『山県郡巡り道中記』、『樽床誌』など、戸沢経義の娘が祈願したとするものもある。
- ^ 旅館業を経営し[9]、複数回の八幡村議会議員経験者。明治13年生、昭和42年没[13]
- ^ 『樽床誌』では三寿園となっている。
- ^ 『山県郡写真帳』では西善寺、『樽床誌』では最伝寺となっている。
- ^ 院居は屋号であり[12]、後藤吾妻の家のことである[9]。旅館としての名称は峡北館であった[11]。
- ^ 『中国新聞』1955年8月12日の記事では「光善寺」となっている。
出典
- ^ a b c d e 中国新聞 2011年5月31日朝刊 p.28 「広島大仏 奈良にあった 原爆ドーム近くから移設 半世紀不明」
- ^ a b c d e 『山県郡写真帳 : 〔山県郡小誌〕』 編:広島県自治協会山県郡支会 1926年発行 P.27
- ^ a b c d e f g h i j 『山県郡巡り道中記』 著:名田富太郎 1931年発行 1974年再版 p.511
- ^ a b c d e f g h i j k l m n 中国新聞 1949年9月30日朝刊 p.2 「爆心地供養塔に"廣島大佛" 一丈三寸總金ぱく 佛師安阿彌畢生の作」
- ^ a b c d 中国新聞 1950年8月3日朝刊 p.4 「『廣島大佛』お引越し あす花車で爆心地供養殿へ」
- ^ a b c d e 中国新聞 1950年8月5日朝刊 p.2 「稚児に引かれて 廣島大佛 爆心地に鎮座」
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o 中国新聞 1955年8月12日朝刊 p7 「宙に浮いた大仏さんの行方 所有権めぐって争い 原爆ドーム横 西蓮寺から持ち去る」
- ^ “奈良県 極楽寺の歴史と寺宝”. 極楽寺. 2013年9月21日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年7月25日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z サンデー毎日 昭和34年39号(1955年8月28日号) p72 - 73 「雲がくれの”原爆大仏” 所有権でヤッサモッサの大騒ぎ」
- ^ a b c d e f g h i 中国新聞 2022年7月2日朝刊 p.23 「広島大仏 60年ぶり帰郷 原爆ドーム隣の寺に安置→奈良へ」
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t 『樽床誌』 編:鈴政信市 1970年発行 p.140 - 142
- ^ a b c 『八幡村史』 編:芸北町 1976年発行 p.397
- ^ 『樽床誌』 編:鈴政信市 1970年発行 p.373、p.442
- ^ ひろしま本通物語 著:川井樹 p.143
- ^ 中国新聞 2012年1月4日朝刊 p.24 「ヒロシマの一歩鮮明 50年作製『復興絵はがき』ビル街や新道路」
- ^ 中国新聞 2012年6月29日朝刊 p.31 「秘蔵の仏像画 8月6日開帳」
- ^ 中国新聞 2015年10月22日朝刊 p.31 「広島大仏『里帰り』企画 3年以内を目指す」
- ^ 中国新聞 2020年3月30日朝刊 p.19 「広島大仏60年ぶり里帰り 戦後は原爆ドーム近く・・・現在奈良の極楽寺」
- ^ “中国新聞セレクト2022年9月11日 『想』田中全義 大仏様の里帰り”. 中国新聞セレクト 2022年10月14日閲覧。
- ^ a b 中国新聞 2022年4月8日朝刊 p.21 「『広島大仏』里帰りを 原爆犠牲者慰霊 奈良に安置中 実行委 CFで資金を募る」
- ^ a b “大仏さまは帰ってきた、荒れ地からよみがえった広島へ 67年ぶりに” (日本語). 朝日新聞. オリジナルの2022年8月5日時点におけるアーカイブ。 2022年8月5日閲覧。
- ^ a b 朝日新聞 広島版 2022年9月7日 朝刊 p.23 「『広島大仏』と練り歩こう おそろいのTシャツで盛り上げ」
- ^ a b 中国新聞2022年9月9日朝刊 p.21 「一時帰郷の『広島大仏』 あす本通り商店街で披露」
- ^ “令和4年9月12日〜10月10日まで 宮島弥山大聖院本坊観音堂にて、広島大仏公開されてます”. 大聖院. 2022年9月27日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年9月25日閲覧。
- ^ “「広島大仏」被爆地への里帰り終え 安堵町の極楽寺に戻る” (日本語). NHK奈良放送局. オリジナルの2022年10月15日時点におけるアーカイブ。 2022年10月15日閲覧。
広島大仏
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「極楽寺 (奈良県安堵町)」の記事における「広島大仏」の解説
終戦直後、広島市で原爆犠牲者を弔うために原爆ドーム近くに祀られ、その後、約50年間にわたって行方不明だった「広島大仏」が安置されている。定印を結ぶ阿弥陀如来座像で高さは約4メートル、全身に金箔が施されている。
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