たいら‐の‐やすより〔たひら‐〕【平康頼】
平康頼
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/01/23 05:15 UTC 版)
平 康頼(たいら の やすより、生没年未詳[1])は、平安時代の武士。信濃権守・中原頼季の子[2]。官位は六位・左衛門大尉。後白河法皇の近習として北面に仕える。平判官入道と称された。
- ^ コトバンク「平康頼」
- ^ a b 『勅撰作者部類』
- ^ a b 『ふるさと森山』鴨島町森山公民館郷土研究会,1990年
- ^ 『梁塵秘抄口伝集』巻10
- ^ 『平家物語』巻二 康頼祝の事
- ^ a b c d 野中 哲照「薩摩硫黄島の境界性と『平家物語』」『国際文化学部論集』第13巻第2号、鹿児島国際大学国際文化学部、234-212頁。
- ^ 今井 正之助「平家物語の説話と時間―説話の日付の機能―」『中世文学』第36巻、中世文学会、1991年、80-88頁。
- ^ 原田 信之「鹿児島県硫黄島の遣唐使漂着伝説と灯台鬼説話」『新見公立短期大学紀要』第30巻、新見公立短期大学、2009年12月25日、80-88頁。
- ^ 『平家物語』巻二 卒塔婆流しの事
- ^ “広報みはま 2015年6月号”. 美浜町. 2023年9月21日閲覧。
- ^ 『ふるさと森山』鴨島町森山公民館郷土研究会,1990年,36頁
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