帝国の誕生
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/07 03:57 UTC 版)
「オットー1世 (神聖ローマ皇帝)」の記事における「帝国の誕生」の解説
960年、イタリアの統治を任せていたベレンガーリオとアダルベルトの父子がローマ教皇ヨハネス12世を攻撃し、教皇はオットー1世に救援を要請した。961年、オットー1世はアデライーデとの子でわずか7歳のオットー2世を自らの共同統治者として戴冠させると(ハインリヒは954年に夭折)、再びイタリアへ遠征し、ベレンガーリオ父子を成敗した。10年前とは異なり、充分にその力を周囲に認められていたオットー1世は、962年2月2日にローマにおいて教皇から帝冠を授けられた。「神聖ローマ帝国」の国号が使われ出したのは200年後の13世紀であるが、世界史ではこの時をもって神聖ローマ帝国の誕生としている。また800年のカール大帝の戴冠をもって神聖ローマ帝国成立とする見方もある。
※この「帝国の誕生」の解説は、「オットー1世 (神聖ローマ皇帝)」の解説の一部です。
「帝国の誕生」を含む「オットー1世 (神聖ローマ皇帝)」の記事については、「オットー1世 (神聖ローマ皇帝)」の概要を参照ください。
- 帝国の誕生のページへのリンク