市岡猛彦とは? わかりやすく解説

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市岡猛彦

読み方いちおか たけひこ

江戸後期国学者尾張藩士。通称藤太郎・東太郎藤十郎重郎、号は園・垣内本居宣長・同春庭門人鈴木朖平野広臣等と共に尾張の国学を振興した著書に『春風集』『新古今集もろかづら』等がある。文政10年(1827)歿、50才。

市岡猛彦

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/29 10:00 UTC 版)

市岡 猛彦(いちおか たけひこ、1778年安永7年)または1781年天明元年)[1] - 1827年3月18日文政10年2月21日))は、尾張藩士・国学者。通称は藤太郎・東太郎・藤十郎・藤重郎、号は槲園・椎垣内[1][2]


  1. ^ a b Kotobank
  2. ^ 上田正昭ほか監修、三省堂編修所編 『コンサイス日本人名事典 第5版』 三省堂、2009年、116頁。 
  3. ^ a b c 尾崎久弥 1954, p. 64.


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