市制・町村制施行以後とは? わかりやすく解説

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市制・町村制施行以後

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/01/24 07:01 UTC 版)

練馬区の町名」の記事における「市制・町村制施行以後」の解説

明治22年1889年)、市制・町村制施行され東京市15区からなる)が成立東京府下の6郡は既存町村整理統合され85町村となった85町村のうち北豊島郡属していたのは19町村で、このうち上板橋村一部と、下練馬村上練馬村中新井村石神井村現在の練馬区域にあたる。これら各と、整理統合前の旧との対応関係以下のとおりである。 上板橋村一部) - 江古田新田、旧上板橋村(字小竹下練馬村 - 下練馬村 上練馬村 - 上練馬村下土田村 中新井村 - 中村中新井村 石神井村 - 上石神井下石神井関村上土田村谷原村田中村田中新田竹下新田 このうち上土田村下土田村は、もとの土支田村明治2年頃に上・下分かれて成立した田中新田田中村北方離れて位置する新田で、田中村同一見なされる場合もあった。下練馬村昭和3年1928年)に町制施行し練馬町となった小榑橋戸明治22年合併して埼玉県新座郡榑橋村くれはしむら)となったが、この名は2年間しか続かなかった。明治24年1891年)、榑橋村石神井村上土支田および埼玉県新座郡新倉村長久保編入同時に東京府所属となり、東京府北豊島郡大泉村改称した昭和7年1932年10月1日東京市周辺の5郡(荏原、北豊島豊多摩南足立、南葛飾)に属す82町村編入しいわゆる大東京市が成立した。なお、従前の6郡のうち、南豊島郡東多摩郡明治29年1896年)に合併して豊多摩郡となっている。編入され82町村20区編成され東京市既存15区合わせ35区から構成されることとなった。この時、北豊島郡板橋町上板橋村志村赤塚村練馬町上練馬村中新井村石神井村大泉村の2町7区域をもって板橋区(後の練馬区区域を含む)が新設された。 昭和18年1943年7月1日東京府東京市廃止されて、新たに東京都設置された。この時、板橋区を含む35区は東京都直轄の区となった昭和22年1947年3月15日35区は22区に再編される。この時点では板橋区区域には変更はなかったが、5か月後の同年8月1日、旧練馬町上練馬村中新井村石神井村大泉村全部、旧板橋町一部該当する区域練馬区として分区した。

※この「市制・町村制施行以後」の解説は、「練馬区の町名」の解説の一部です。
「市制・町村制施行以後」を含む「練馬区の町名」の記事については、「練馬区の町名」の概要を参照ください。

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