己巳換局
己巳換局
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/18 13:43 UTC 版)
詳細は「己巳換局」を参照 1689年(粛宗15年)に発生する。粛宗は西人が提起した元子問題を口実に西人を失脚させる一方、南人を再び重用することになる。 発端は1688年、後宮の張氏が王子・昀を生んだことである。第19代国王の粛宗は昀を元子(王位継承順位第1位)に封じようとするが、当時政権を掌握していた西人派は正妃の仁顕王后を支持していたため、昀の元子称号に反対する。これを王に対する反逆と捉えた粛宗は西人を処罰し、張氏を支持した南人を代わりに要職に付け、政権交代がなされた。その後仁顕王后は廃位され、張氏が王妃に冊封された。
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