岡倉覚三(天心)らとの出会い
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/06/23 03:25 UTC 版)
「今村紫紅」の記事における「岡倉覚三(天心)らとの出会い」の解説
1907年(明治40年)春に訪れた茨城県五浦の日本美術院研究所では、靫彦とともに岡倉覚三(天心)の指導を受け菱田春草や横山大観らの制作姿勢に大きな刺激を受けた。紫江が五浦に着いた晩、岡倉に「君は古人では誰が好きですか」と訊ねられると、即座に「宗達です」と答え、岡倉に認められるきっかけとなった。当時、宗達は光琳の影に隠れて余り知られておらず、紫江の日本画への造詣の深さを窺わせる。またこの逸話は、宗達が再評価されるきっかけとなった逸話としても知られる。同年9月、新派による国画玉成会にも参加。同年、第一回文展に出品した「秋風五丈原」は落選となるも本人は気にせず、上野公園で文展審査員の荒木十畝の後ろを歩きながら、「十畝の絵はありゃなんだ。全然出来てないではないか」と、本人に聞こえるのも平気で声高に言い放ったという。
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