山本義路とは? わかりやすく解説

山本義路

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/20 09:52 UTC 版)

山本 義路(やまもと よしみち)は、江戸時代後期の武士越後長岡藩上席家老(在所家老)・軍事総督。家臣中次席の家柄・知行1300石。諱の義路よりも通称の帯刀の方が広く浸透し、一般には山本 帯刀(やまもと たてわき)として知られた。


  1. ^ 『三百藩家臣人名事典4』参照。但し、『長岡市史』において長岡藩の役職に側用人はなく、「御用人」の間違いの可能性もある。また、江戸武鑑上では家老家嫡子が用人になっている事が多々ある。
  2. ^ なお『三百藩家臣人名事典4』では「慶応3年(1867年)3月に死去すると家を継ぎ、帯刀と称する」としている。
  3. ^ 大嶽 2004, pp. 40–41.
  4. ^ 阿部 2009, pp. 72–73.
  5. ^ 渡辺豹吉の弟。廉吉も戊辰戦争に従軍し負傷している(『日本近現代人名辞典』(2001)1179頁)。


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