山本登喜子とは? わかりやすく解説

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山本登喜子

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/22 01:24 UTC 版)

山本登喜子(やまもと ときこ、万延元年4月17日[1]1860年6月6日[注釈 1]) - 昭和8年(1933年3月30日)は、山本権兵衛日本海軍軍人で第16・22代内閣総理大臣を務めた)の


注釈

  1. ^ 高精度計算サイトkeisan(カシオ計算機)和暦から西暦変換(年月日)で換算。
  2. ^ 明治11年当時の新潟県蒲原郡菱潟村は、明治22年に新潟県中蒲原郡菱潟村菱潟となった(「中蒲原郡#町村制以降の沿革」を参照)。現在の新潟市南区菱潟。
  3. ^ 結婚の日付を「明治11年12月16日」とする文献もあるが([1][4][5])、本記事では海軍の公文書の記載を優先した。
  4. ^ 故伯爵山本海軍大将伝記編纂会『伯爵山本権兵衛伝』 下巻(山本清(非売品)、1938b)の1120頁(国立国会図書館デジタルコレクション)、および、竹内正浩 『「家系図」と「お屋敷」で読み解く歴代総理大臣 明治・大正編』(実業之日本社、2017年)の146頁に、権兵衛の書いた誓約書の画像が掲載されている。
  5. ^ 海軍兵学校東京・築地から江田島に移転したのは、明治21年。
  6. ^ 権兵衛が軍艦「乾行」乗組であったのは、(1回目)明治12年4月から13年10月まで、間に軍艦「龍驤 (コルベット)」乗組(明治13年10月)を挟み、(2回目)明治13年10月から14年2月まで[7][8]

出典

  1. ^ a b 岩崎 1903, pp. 56–79, 山本権兵衛夫人
  2. ^ a b 山本少尉結婚の件東海鎮守府届」 アジア歴史資料センター Ref.C09113152400 
  3. ^ 『明治美人伝』長谷川時雨
  4. ^ 故伯爵山本海軍大将伝記編纂会 1938a, p. 99, 第3章 尉官時代 其1:結婚
  5. ^ a b c d e f g h 福田 2019, pp. 52–74, 3 救い出した遊女を生涯愛した:山本権兵衛
  6. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p 竹内 2017, pp. 141–152, 第16代 第22代 山本権兵衛(やまもと ごんべえ)
  7. ^ 故伯爵山本海軍大将伝記編纂会 1938a, pp. 101–105, 第3章 尉官時代 其1:「龍驤艦へ転乗」-「乾行艦乗組を免ぜられ、非職と成る」
  8. ^ 半藤 2013, 位置No 4678 - 4700, 海軍大将略歴:山本権兵衛
  9. ^ a b c d e 故伯爵山本海軍大将伝記編纂会 1938b, pp. 1345–1346, 第24章 軼事追懐 其2:故山本権兵衛伯爵に就て(昭和9年6月18日)海軍少将 木村浩吉:(1)令夫人が乾行艦へ拝観に来られし時、御取扱が余り御丁寧すぎたので、評判となつた件


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