尼子軍の進出と池の内の戦い
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/25 01:27 UTC 版)
「吉田郡山城の戦い」の記事における「尼子軍の進出と池の内の戦い」の解説
9月23日、尼子軍は本陣を青光山 に進出させ、湯原宗綱・湯惟宗らは青山、高尾久友・黒正久澄・吉川興経は光井口に陣取った。軍記物などでは、郡山の背後にある甲山(かぶとやま)に尼子が陣取ることを避けるため、間者を使って城の南側(正面)に移るよう工作したことになっている。いずれにせよ、元就はこの期を逃さずに、手薄となった風越山の陣を急襲し、焼き払わせた。 9月26日、尼子軍の湯原宗綱は1,500の兵を率いて南方の坂・豊島方面(旧向原町)に進出し、毛利方の後詰めとして駐留していた小早川興景の陣を攻撃した。しかし、小早川勢は大内軍先鋒・杉隆相勢と共に反撃。吉田郡山城からも粟屋元良が出撃して湯原勢を挟撃した。池の内方面(旧甲田町)まで及んだ戦いで宗綱勢は壊滅、日の沈む頃には深田に馬を乗り入れて進退に窮した宗綱も討死している。
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