寺越事件
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寺越事件(てらこしじけん)とは、1963年(昭和38年)5月11日夜から翌5月12日未明にかけて、石川県羽咋郡高浜町(現、志賀町)高浜港沖で、漁船「清丸(きよまる)」に乗船して漁に出ていた寺越昭二(当時36歳)、弟の寺越外雄(当時24歳)、甥の寺越武志(当時13歳)の3名が洋上で失踪した事件[1]。この事件は、3名が乗船していた漁船の名から清丸事件(きよまるじけん)と称することがある[2]。3名のうち、少なくとも寺越外雄と寺越武志は後に北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)で生存している事実が確認された[2]。北朝鮮工作員による拉致事件であることが濃厚であるが[1]、北朝鮮当局は「北朝鮮の船が遭難していた3人を救助した」と主張している[3]。昭二の息子3人は拉致被害者の「家族会」に入会しているが、他方で武志の母親・友枝は入会を断り独自に訪朝するなどしている。
注釈
出典
- ^ a b c d e f g h i j k l m “寺越事件を石川県警に告訴・告発(2003/11/27)”. 救う会全国協議会ニュース. 北朝鮮に拉致された日本人を救出するための全国協議会 (2003年11月27日). 2021年12月24日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q 高世(2002)pp.164-170
- ^ a b c “寺越外雄さんの死亡認定取消しが決定(2010/05/13)”. 救う会全国協議会ニュース. 北朝鮮に拉致された日本人を救出するための全国協議会 (2010年5月13日). 2021年12月24日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i j k l 『家族』(2003)pp.325-333
- ^ a b c d e f g 『家族』(2003)pp.334-339
- ^ 『家族』(2003)pp.363-366
- ^ a b c d e f g h i 『家族』(2003)pp.339-342
- ^ a b c d “増元るみ子さん戸籍回復へ-鹿児島家裁が失踪宣告取り消し(2009/06/15)”. 救う会全国協議会ニュース. 北朝鮮に拉致された日本人を救出するための全国協議会 (2009年6月15日). 2021年12月24日閲覧。
- ^ 安(2000)pp.180-182
- ^ a b c d e 安(2005)pp.138-143
- ^ a b c d e 『家族』(2003)pp.342-346
- ^ a b c “「外雄の子供は日本人や」-寺越文雄さんコメント(2010/05/14)”. 救う会全国協議会ニュース. 北朝鮮に拉致された日本人を救出するための全国協議会 (2010年5月14日). 2021年12月24日閲覧。
- ^ a b c 『家族』(2003)pp.346-348
- ^ a b 「寺越事件」拉致と認識 救う会要望に古屋担当相 北國新聞 2013年5月18日
- ^ a b 行方不明から50年…寺越事件の究明求め要請文 読売新聞 2013年5月17日
- ^ “HAB制作番組がギャラクシー賞 寺越事件のドキュメンタリーで”. 朝日新聞. (2023年3月28日) 2023年5月23日閲覧。
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