寺の無住化と廃寺
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/01 09:08 UTC 版)
「源宗寺 (熊谷市)」の記事における「寺の無住化と廃寺」の解説
13世の安誉上人大善和尚は、埼玉郡の出身で1793年(寛政5年)、26歳で源宗寺に着任する。安誉上人大善和尚の時代、本堂の向拝が大破したため修復が行われたと伝えられている。1803年(享和3年)、安誉上人大善和尚は本寺の勝願寺の指示によって他寺に転任した。続いて14世の孝誉上人隋阿教山和尚が、肥後国から着任した。 孝誉上人隋阿教山和尚がいつまで源宗寺で住職を務めていたかについては記録が残っていない。孝誉上人隋阿教山和尚が源宗寺を去った後、寺は住職不在の無住状態になったと考えられている。そのため近隣の超願寺、金錫寺が源宗寺の寺務を代行するようになった。そして明治維新後、源宗寺はいったん廃寺となって荒廃が進んでいった。
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