家康が出陣した理由
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/10 00:29 UTC 版)
「三方ヶ原の戦い」の記事における「家康が出陣した理由」の解説
通説では、信玄の挑発(相手にされず素通りされたこと)に乗ったとされているが、様々な説がある。 あえてここで出撃することによって家臣や国人衆たちの信頼を得る(ここで武田軍が去るのをただ待つだけでは調略に乗る者や離反者が出る可能性があった)、織田氏・武田氏のどちらが勝つにせよ戦役終了後に徳川氏に有利になるよう戦略的アピールを狙ったなどがあるが、祝田の坂を利用し一撃離脱を図っていたという説や、挑発に乗った振りをして浜松城近辺に武田軍を足止めするための時間稼ぎを狙っていたと言った戦術的面から見た説もある。 また、『当代記』『四戦紀聞』などの史料によれば、家康は戦うつもりが無かったが、物見に出ていた部下が小競り合いを始めてしまい、彼らを城に戻そうとしている内に戦闘に巻き込まれてしまった、という旨の記述がある。
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