宮永スエキクとは? わかりやすく解説

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宮永スエキク

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/06/19 21:06 UTC 版)

みやなが スエキク
宮永 スエキク
生誕1884年4月7日
日本 鹿児島県曽於郡大隅町
死没 (1998-06-20) 1998年6月20日(114歳没)
日本 鹿児島県曽於郡大隅町
国籍 日本
著名な実績存命人物のうち日本最高齢(1997年5月4日 - 1998年6月20日)
配偶者愛右衛門(婚姻期間 1908年 - 1954年)
子供男4人、女7人

宮永 スエキク(みやなが スエキク、1884年明治17年〉4月7日 - 1998年平成10年〉6月20日)は、長寿日本一だった鹿児島県曽於郡大隅町(現・曽於市)の女性

生涯

1884年明治17年)4月7日鹿児島県曽於郡大隅町の農家に生まれる。1908年(明治41年)に24歳で愛右衛門と結婚し、四男七女をもうけた[1]。趣味は三味線太鼓、歌、踊りだった[2]

1954年昭和29年)、70歳のときに愛右衛門と死別[1][2]。冗談好きの明るい性格で、おはら節など歌や踊りが得意。107歳ごろまで三味線を弾いていた。そばが好きで、100歳を超えた後も自分でそばを打っていた[3]。109歳までは一人で歩いていた[1]。風邪をこじらせて寝たきりになり、1993年(平成5年)からは特別養護老人ホームで生活していた[2]

1997年(平成9年)5月4日、日本最高齢だった哥川スエが113歳で死去し、当時113歳の宮永が日本最高齢となる[4]。この年の7月に脳梗塞で倒れて右半身が麻痺し、以来は殆ど寝たきりになった[5]

1998年(平成10年)4月7日に114歳の誕生日を迎え、祝いに訪れた大隅町長の永野静夫に花束を手渡されると、微かに頬を緩めた。同月22日に体調を崩して大隅町の病院に入院[2][5]。この4月の時点で、子供のうち存命なのは77歳の五女と75歳の三男のみだった[5]

同年6月20日午後1時12分、老衰のため家族に見守られて息を引き取った。114歳没。死去の時点で孫が12人、曾孫が20人いた[1][2]

宮永の死去により、誕生日が3週間違う滝井アサが日本最高齢となった[2]

脚注

  1. ^ a b c d 毎日新聞』1998年6月21日西部朝刊社会面
  2. ^ a b c d e f 『讀賣新聞』1998年6月21日東京朝刊社会面35頁「宮永スエキクさん(日本最高齢者)死去」
  3. ^ 日本最高齢の宮永スエキクさん死去 114歳”. web.archive.org. 2022年9月30日閲覧。
  4. ^ 『毎日新聞』1997年5月6日西部朝刊1面「長寿日本一の哥川スエさん死去 山口、阿知須町」
  5. ^ a b c 讀賣新聞』1998年4月8日西部朝刊社会面27頁「[いずみ] 長寿日本一の鹿児島の宮永スエキクさん、114歳の誕生日」



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