学者の思考への用語の影響
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/01 13:54 UTC 版)
小嶋和司は1982年の著書において、「実質的意味の憲法」という言い回しを引用して書いた後、「実質的憲法」と表現して、「憲法学が対象の中心に据えるべきは、形式的憲法ではなく、実質的憲法である」と論述している。小嶋は同書において、欧米語のConstitution(Verfassung)を翻訳した「憲法」という語を、日本の学者が論述に用いる際には、制定憲法(法典)あるいはその規制事項のみを「憲法」と扱う「習性」を「無意識的に登場」させ、その歪みの影響を論考に残していると指摘した。小嶋によれば井上密、市村光恵は意識して語義を限定したが、その後の学者は、もはやその意識すらない、としている。「憲法」の用語が持つ「実質的憲法」という意味を忘れて日本の学者が思考した結果として、「憲法典を持つ国では憲法典の変更は国家の同一性を失わせる」、「ブライスの硬性憲法・軟性憲法の区別は成文憲法の分類である」を挙げ、また「憲法制定権力」、「憲法の変遷」、「憲法と条約締結」、および「緊急事態」に関しても多くの学説はこの誤りから出発した論理になっていると、同書で論述している。 小嶋は、こうなった原因の一端が明治憲法にあると述べている。 堀内健志は2008年の論文において、日本の憲法学について「『実質的意味の憲法』を法規範に限定し、『国制』を事実上の世界のものとして、簡単に両者を峻別・分離して」潜在する問題を回避してきているのではないか、と指摘している。 小嶋は前記著述の雑誌連載中、「師説への批判が目につく」との感想を、同門の教授から受けたことを記している。小嶋は東京大学法学部出身で1965年以降は東北大学の教授として活動した。
※この「学者の思考への用語の影響」の解説は、「憲法学」の解説の一部です。
「学者の思考への用語の影響」を含む「憲法学」の記事については、「憲法学」の概要を参照ください。
- 学者の思考への用語の影響のページへのリンク