奥州後三年記とは? わかりやすく解説

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奥州後三年記

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/08/18 03:02 UTC 版)

奥州後三年記(おうしゅうごさんねんき)は、平安時代後期の永保3年(1083年)から、寛治2年(1088年)にかけての、陸奥出羽両国にまたがった争乱、いわゆる「後三年の役」、または「義家合戦」と呼ばれるものを描いたものである。実際には永保3年(1083年)から寛治元年(1087年)の5年間の戦いであったが、「十二年合戦」(前九年合戦の古称)が前九年・後三年の両方を指すとする誤解が鎌倉後期に生じ、前者を9年間(実際には12年間)、後者を3年間(実際には5年間)と振り分ける呼称が成立した[1]。 その成立については、長らく南北朝時代貞和3年(1347年)とされてきたが、野中哲照は丁寧語「侍り」の用法などから院政初期の成立であることを明らかにした[2]


注釈

  1. ^ 「大庭御厨」は13郷で成立しており、庄域は東に鎌倉郡玉輪庄に接し、面積は久安元年(1145年)当時95町であった

出典

  1. ^ <野中哲照『後三年記詳注』「解説」、汲古書院、2015年
  2. ^ a b <野中哲照『後三年記の成立』、汲古書院、2014年
  3. ^ <野中哲照『後三年記の成立』・汲古書院、2014年
  4. ^ <野中哲照『後三年記詳注』・汲古書院、2015年
  5. ^ 小松茂人『後三年合戦絵詞』日本絵巻大成・中央公論社1977年
  6. ^ さがの歴史・お宝文化帳「兵動氏と兵動八幡宮」(佐賀市地域振興部文化財課)
  7. ^ 高源寺「大宅系高橋氏 飯田高橋の鎌倉武士






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