大館城_(陸奥国)とは? わかりやすく解説

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大館城 (陸奥国)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/20 17:10 UTC 版)

大館城(おおだてじょう)あるいは大館は、福島県いわき市内郷御台境町・好間町下好間・にかけてあった室町時代から戦国時代日本の城。2017年(平成29年)5月1日に「大館城跡」としていわき市の史跡に指定された[1]


  1. ^ 指定文化財一覧(令和2年5月1日現在)」、11/12ページ。(2020年5月10日閲覧)
  2. ^ 現存する同時代の資料(史料)で城の名称を直接表しているものはない。そのかわり地名の「平」が、城館を参照しているとみることができるような際にも使われている。たとえば岩城重隆の晩年(永禄10(1567)ないし11(1568)年)のものとみられる書状(福島県編 1966 所収文書 10-二六)の「老母を平ニ閣候上」での「平」は、岩城氏当主岩城親隆の居館を指しているともみなせる。
  3. ^ 福島県教育委員会による中世城館の調査報告書(福島県教育委員会編 1988)で使われた名称に由来すると思われる。ただし同報告書での「飯野平城」は、「従来の通称『大館』城と『高月館』および飯野八幡宮を包含する一帯に存在した中世の城館を連続してとらえ、…扱」う(p. 258)ために、中世城館遺跡群の名称として設けられたもので、一城館である大館(城)の別称・異称ではない。
  4. ^ 前掲、岩城重隆書状(福島県編 1966 所収文書 10-二六)の中で「平」とは別に、重隆自身の隠居城と見られる城について「飯野へ帰城」といった表現が使われているので、戦国時代(16世紀中頃)当時「平」と「飯野」は別の地名であり、「飯野平」のような地名や「飯野平城」のような呼称・名称はなかったものとみられる。ちなみに、中世(13〜14世紀)「飯野郷」(陸奥国岩城郡好嶋荘西方(好嶋西荘)飯野郷)の範囲からすると、大館(城)の位置は郡・郷の西の端で隣の岩崎郡との境界付近にあたる。特に主郭の置かれた山は飯野郷外だった可能性もある。なお、「飯野平」が現れる最も古い(現存)資料は、『続群書類従』巻第百三十九の磐城系図である。
  5. ^ 大須賀筠軒 1912、p. 22
  6. ^ 福島県編 1966 所収文書 49−三八。
  7. ^ 飯野平城跡(大館城跡)石碑 - 文明15年(1483年)築城
  8. ^ 『寛政重修諸家譜』巻五百十二 岩城
  9. ^ 『続群書類従』巻第百三十九 磐城系図
  10. ^ 2018年3月31日までは国道、翌4月1日からは県道。


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