大韓民国へ
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1959年(昭和34年)3月、李垠が脳血栓で倒れ歩行困難となったため、夫妻は5月17日に日本へと戻る。1960年(昭和35年)、夫妻は再び渡米しようとするが、今度は日本政府からの証明書も降りなかった。このため夫妻は日本国籍を取得している。8月に帰国し、1961年(昭和36年)には、仕事のためにハワイを訪れていた李玖の元を訪ねている。11月12日には、渡米途中に日本に立ち寄った朴正煕国家再建最高会議議長が病床の李垠の元を訪れ、方子にいつ帰国しても構わないと伝えた。1962年(昭和37年)12月15日には夫婦ともに韓国籍になることを認めるとの通知を受けた。 1963年(昭和38年)からは韓国政府から生活費の送金が開始された。日韓国交正常化交渉が始まると、11月22日に夫婦ともに韓国へ渡った。病身であったため金浦国際空港からソウルの聖母病院へと直接運ばれたが、30kmに及ぶ沿道は歓迎の市民で埋め尽くされた。
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