大野治房とは? わかりやすく解説

大野治房

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/03/07 08:15 UTC 版)

大野 治房(おおの はるふさ)は、安土桃山時代から江戸時代初期にかけての武将豊臣氏の家臣。茶人。


  1. ^ 東京大学史料編纂所 1917, p. 935.
  2. ^ 『老士語録』による[1]
  3. ^ a b c d 高柳 & 松平 1981, p. 62.
  4. ^ 加藤国光 1997, p. 163, 166.
  5. ^ 『慶長十六年禁裏御普請帳』による[4]
  6. ^ 現在の京丹後市
  7. ^ 大野定長と大蔵卿局が、天正17年(1589年)に秀吉より和泉国佐野と丹後国大野に併せて1万石を与えられたことから、所領と出生地との取り違えが起こったようである。丹後国大野に大野城という同名の城を築いたことも、混乱の原因か。
  8. ^ 現在の愛知県一宮市浅井町大野。
  9. ^ 加藤国光 編 『尾張群書系図部集(上)』続群書類従完成会、1997年、165頁。ISBN 9784797105551 
  10. ^ a b 福本 1921, p. 343.
  11. ^ a b 大日本人名辞書刊行会 1926, p. 615.
  12. ^ 加藤国光 1997, p. 166.
  13. ^ 細川藤孝の次男細川興元に仕えて長岡姓を名乗る。諱は「貞安」とするものもある。
  14. ^ 大日本史料12編18冊383頁.
  15. ^ 講談『真田三代記』では、大野兄弟は悪役として脚色されていて、治房は臆病な人物として描かれており、味方を見捨てて敗走したことになっている。
  16. ^ 書院番2組、大番1組。
  17. ^ 「土屋知貞私記」
  18. ^ 「山本豊久私記」
  19. ^ 「老士語録」
  20. ^ 吉本健二 『真説大坂の陣』学習研究社、2005年。 
  21. ^ 川口素生 『真田幸村は生きていた!』PHP研究所、2016年。 
  22. ^ 史料綱文99編冊頁.


「大野治房」の続きの解説一覧




固有名詞の分類

このページでは「ウィキペディア」から大野治房を検索した結果を表示しています。
Weblioに収録されているすべての辞書から大野治房を検索する場合は、下記のリンクをクリックしてください。
 全ての辞書から大野治房を検索

英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「大野治房」の関連用語

大野治房のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



大野治房のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの大野治房 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS