大津山﨑家(田邊島山﨑家)
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「山崎山重」の記事における「大津山﨑家(田邊島山﨑家)」の解説
『大津村史』によると、田邊島の山﨑家の始まりは又左衛門という人物である。その由来について「本姓は佐々木氏、いわゆる近江源氏の末裔で、先祖又左衛門が土佐に下り大津に住居、長宗我部に仕えて五十石を知行したとその家譜に記されている。その子又右衛門は山内家に仕えて安芸の分一役などを勤めた」と記されている。この又左衛門という人物だが、この名称は鴨部山﨑家系図にもみられる。山重の次男である四郎左衛門盛治は山川村(旧香我美町)に住んだが、その長男を又左衛門盛清という。彼は大津村(高知市大津)に移住し、その後正延村(旧香我美町)に移住している。その弟二人は大津村に移住している。こうした記述から田邊島の山﨑家の遠祖の又左衛門は鴨部山﨑家の系図にみられる又左衛門と同一人物である可能性が高い。時代的にも符合する。なお、『大津村史』における田邊島の山﨑家の「本姓は佐々木氏、いわゆる近江源氏の末裔」という由来は、家譜作成時に氏の由来が不明であったために便宜的に巷間に流布する大族山﨑氏の由来を借用したものと考えられる。結論として、大津山﨑家(田邊島山﨑家)は物部山﨑家の分家である可能性が極めて高い。
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