大平内閣期
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/01 09:15 UTC 版)
自民党総務会長として、日中国交正常化後3度訪中し当時の中国の最高指導者であった鄧小平とも会談しており、第1次大平内閣の1979年5月の会談では尖閣諸島の領有権問題の棚上げと、日中両国による海底資源の共同開発の提案があったという。改革開放論者であった鄧はさらに鈴木に、日本からの政府借款を受け入れたいという旨と、土地を提供するから共同で中国国内に兵器工場を作りましょうという話を持ち出してきた。鈴木は「これには正直言って驚いた。日本としては対米関係などを考えると大変なことで、出来るわけはない。私は、日本は日本国憲法の趣旨から言って諸外国とそういう面での共同の仕事は基本的に出来ないし、考えてない、と即座に断った」「この話は単なる外交上の駆け引きとして出してきたという印象ではなかった。真剣だった。今思うに当時、中国としても軍備の近代化を考えていたんだろう。(中略)日中共同の兵器工場建設の提案を断った代わりに、円借款の件は約束通り実行した。」と語っている。
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