大内教弘
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/21 23:27 UTC 版)
大内 教弘(おおうち のりひろ)は、室町時代中期の守護大名。周防・長門・筑前・豊前・肥前守護。大内氏第13代当主。第11代当主大内盛見の子(一説には大内持盛の次男)。教幸の弟[注釈 1]。妻は山名宗全の養女(山名熙貴の娘)。政弘、娘(大友政親室)、娘(山名政理室)、娘(佐伯親春室)の父。
注釈
- ^ 須田牧子は以参周省筆「文明16年11月27日陶弘護肖像賛」[1]より、教弘を兄・教幸を弟とする従来の説は誤りで実際は教幸が兄をするのが正しいこと、嘉吉の乱以前より教幸が少弐氏とともに大内持世に反抗して室町幕府より追討対象にされていたことを示す文書[2][3]の存在を示して、室町幕府から追われていた教幸ではなく、弟である教弘が大内氏の家督を継いだとする[4]。
- ^ 和田秀作「大内武治及びその関連史料」『山口県文書館研究紀要』30号(2003年)及び藤井、2013年、P213・231。ただし、その影響については教弘流の惣領としての立場が動揺したと解する和田の見解と当主剥奪後も大内氏本国において幼少の亀童丸の父親である教弘が実権を握っている実態には変わりがないので当主剥奪の命令が出されてもその実効性は乏しかったとする藤井の見解がある。
出典
固有名詞の分類
- 大内教弘のページへのリンク