坂本の戦い
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/12 08:06 UTC 版)
琵琶湖西岸方面における織田方の重要拠点は坂本のやや南にある宇佐山城であり、ここは森可成ら1000人余りが守っていた。可成は浅井・朝倉勢接近の報を聞き、500の兵を率いて宇佐山城のやや北、坂本口に出陣して周辺の街道を封鎖して志賀や穴太に伏兵を配し9月16日には浅井・朝倉軍と小規模な戦闘を行って幾人かの首を獲る勝利を収めた。その後に信長の弟信治、近江国衆青地茂綱など2000の兵が救援として駆けつけ坂本の守勢に加わっている。しかし、19日になると顕如の要請を受けた坂本里坊、延暦寺の僧兵達も攻め手に加わり、西の僧兵と北の浅井・朝倉軍ら総勢3万の兵から挟み撃ちを受けた森可成、織田信治、青地茂綱ら3将は奮戦するも討死してしまった。主将を失った宇佐山城も連合軍の攻撃を受けるが寡兵ながら士気は高く可成の家臣各務元正、肥田直勝などが中心となって抗戦し落城は免れた。 「宇佐山城#宇佐山城の戦い」も参照
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