土呂久砒素公害
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土呂久砒素公害(とろくひそこうがい)とは、1920年(大正9年)から1941年(昭和16年)までと1955年(昭和30年)から1962年(昭和37年)までの計約30年間、宮崎県西臼杵郡高千穂町の旧土呂久鉱山で、亜砒酸を製造する「亜ヒ焼き」が行われ、重金属の粉塵、亜硫酸ガスの飛散、坑内水の川の汚染で起きた公害である。
- ^ 高千穂町土呂久地区における公害健康被害(慢性砒素中毒症)について [1] 宮崎県HP、2016年1月13日
- ^ 「50年間に100人若死 鉱山の亜ヒ酸が原因?」『朝日新聞』昭和47年(1972年)1月17日夕刊、3版、9面
- ^ 宮崎県土呂久地区廃止鉱山周辺の症例(1973) 中村ら 第1報、第2報、熊本医会誌 47,846-515,516-530.
- ^ 慢性ヒ素中毒症ー土呂久地区廃止鉱山周辺の症例(1976),38,554-571. 中村ら 西日本皮膚科 38,
- ^ 土呂久鉱害病の臨床的研究(1979)、体質医学研究報 29,199-235.
- ^ 旧松尾鉱山ヒ素公害2009-07-06 朝日新聞朝刊 2社会
- ^ アジアの砒素汚染 (2004) アジア砒素ネットワーク 宮崎
- ^ 堀田[2010]
- 1 土呂久砒素公害とは
- 2 土呂久砒素公害の概要
- 3 裁判
- 4 外部リンク
土呂久砒素公害
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砒素焼きをしていた宮崎県高千穂町の旧土呂久鉱山のまわりに慢性ヒ素中毒患者が発生した。1971年に告発され、環境庁も認定し、鉱業権をもった企業への裁判もあった。
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