国王ジェームズ7世および2世
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/24 09:05 UTC 版)
「ジェームズ2世 (イングランド王)」の記事における「国王ジェームズ7世および2世」の解説
チャールズ2世は1685年、死の床でカトリックに転向した後、公式な次代国王を決めずに死去した。王位は当時51歳のジェームズに渡り、ウェストミンスター宮殿で4月23日戴冠式が行われ、イングランドとアイルランドの王ジェームズ2世、スコットランド王ジェームズ7世が誕生した。当初はジェームズ2世の即位にはっきりと反対の態度をとる者はほとんどいなかった。5月に召集された議会も王室費の増加を決議するなど、ジェームズ2世に友好的な態度を見せた。 モンマスの反乱は、ジェームズ2世の即位に反対する運動であった。チャールズ2世の庶子・モンマス公ジェームズ・スコットはスコットランド貴族・アーガイル伯アーチボルド・キャンベルと結託、自分こそが王であると僭称して1685年6月20日に反乱を起こしたが、アーガイルはすぐに捕らえられ処刑、モンマスもセッジムーアの戦いでイングランド軍に敗れ、ロンドン塔で処刑された。さらなる反乱を防ぐ目的で、ジェームズ2世は大規模な常備軍の設置を検討したが、これにはカトリック絶対主義のあらわれであるとして議会の反発を招いた。常備軍の問題は結局ジェームズ2世側が折れて撤回したが、同時に議会は解散され、ジェームズ2世の治世には再度召集されることはなかった。
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