国家主席の廃止論争
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/01 00:24 UTC 版)
詳細は「国家主席の廃止」を参照 林彪は1966年の第8期11中全会において党内序列第2位に昇格し、単独の副主席となった。さらに1969年の第9回党大会で、毛沢東の後継者として公式に認定された。しかし、劉少奇の失脚によって空席となっていた国家主席の廃止案を毛沢東が表明すると、林はそれに同意せず、野心を疑われることになる。 1970年頃から林彪とその一派は、毛沢東の国家主席就任や毛沢東天才論を主張して毛沢東を持ち上げたが、毛沢東に批判されることになる。さらに林彪らの動きを警戒した毛沢東がその粛清に乗り出したことから、息子で空軍作戦部副部長だった林立果が中心となって権力掌握準備を進めた。
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