図書館人となるまで
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/05 07:19 UTC 版)
函館区鰪澗町で、大工の長男として誕生した。1893年(明治26年)に父が死去し、母に育てられた。弥生尋常高等小学校を中退後、15歳のときに雑貨商の見習い奉公に出され、商売の基礎を学んだ。奉公先は、曲がった古釘を叩き直して再利用するほどの倹約家であり、後の岡田に大きな影響を与えた。 1903年(明治36年)に独立し、以前から興味のあった西洋式ろうそく製造業に乗り出し、自宅で「太陽石蝋発売元」を開業した。当時の日本ではろうそくの原料を海外輸入に頼っていたことから、これを日本国内の原料で賄うことを発案して資料を捜した。しかし見つかった資料がわずか1冊であり、その1冊によるろうそく製造も失敗に終わったことから、各種文献収集の重要性を認識し、図書館設立を決意した。 当時の函館には、図書館と呼べるべきものは存在しなかった。かつては1880年(明治13年)に開拓使ら読書愛好者たちにより「共覧会」(後に思斎会と改称)が結成され、函館公立図書館の設立が計画されていた。開拓使の廃止により同会の活動が困難になった後、その活動は函館区有の書籍館である区立函館書籍館へ引き継がれ、1888年(明治21年)に一般公開された。しかし利用者の少なさや経費の問題で1893年(明治26年)に廃止され、「函館区共有文庫」と改称されて単なる書庫としての存在となり、実質的に図書館としての機能を休止するに至っていた。
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