味土野集落
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/07/10 03:00 UTC 版)
南東麓の標高350-400メートル付近には味土野(みどの)集落がある。味土野は天正10年(1582年)の本能寺の変後に細川ガラシャが幽閉されていた集落であり、「御殿」(みどの)と書いた時期もあった。かつては南麓の標高400メートル付近に高原集落があり、味土野からこの高原集落に道が通じている。 かつて味土野には弥栄町立野間小学校味土野分校があり、1971年(昭和46年)の閉校翌年には弥栄町営ガラシャ荘として使用されたが、消防法の関係で宿泊が不可能になったことから、味土野公民館として使用されていた。1963年の三八豪雪(丹後豪雪)を機に味土野集落から離れる住民が相次ぎ、2016年(平成28年)時点では3世帯5人が暮らすのみである。
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