味土野讃歌
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/01/18 15:08 UTC 版)
婦人会の役員をしていた母が細川ガラシャの隠棲地碑を味土野に建立する活動に関わっていたことから、小学6年生の頃に細川ガラシャについて知り、1955年(昭和30年)頃に初めて味土野を訪れた際、史実を保存する重要性を痛感した。以来、郷土に残る細川ガラシャの資料や口伝の収集に努め、来訪者のための案内パンフレットを作成したり、現地ガイドを行う。細川ガラシャの味土野幽閉400年にあたるとみられる1982年(昭和57年)には、1935年(昭和10年)に行待迪が刊行した冊子『細川忠興夫人』に補筆し、関係写真などを加えた『増補 細川忠興夫人』を刊行。2000年(平成12年)11月、その研究の集大成となる『味土野讃歌』を刊行した。
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