名鉄国府宮駅の影響
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/05 08:42 UTC 版)
稲沢駅西方にある名鉄国府宮駅の開業は、稲沢駅よりも20年遅い1924年2月のことである。当時は国府宮と一宮を結ぶ区間のみが開通していただけであったが、1928年4月に南方に線路が伸び名古屋市内への直通運転を開始した。当時の東海道本線は長距離優先のダイヤ設定で、短距離では名鉄のほうが利便性が良かったため、国鉄稲沢駅の乗客は次第に減少。1930年以降、稲沢駅と国府宮駅の乗降客数は逆転し、国府宮駅の方が上回った。 第二次世界大戦後、国鉄が長距離列車を中心に復興を進める一方で、名鉄は名古屋方面への近距離客の利便性を確保したダイヤを設定したため、稲沢駅と国府宮駅の乗降客の差は2倍近くに広がった。また、稲沢駅では定期券利用客を中心となったが、国府宮駅では定期券利用客のみならず一般利用客も増加していった。
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