名古屋オリンピック招致反対運動
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/02 14:29 UTC 版)
「影山健」の記事における「名古屋オリンピック招致反対運動」の解説
愛知教育大学教授になって間もない1977年(昭和52年)8月25日、愛知県知事の仲谷義明が名古屋へのオリンピック招致計画を新聞紙上で発表。官主導の招致運動が展開されるが、これに対し、愛知教育大学の卒業生など影山の教え子、名古屋大学の水田洋の研究室の院生らが集まり反対運動を開始。やがて影山と水田もこの運動に参画した。 1981年(昭和56年)の名古屋市長選挙に向けて、市民団体「名古屋五輪をやめさせる会」はオリンピック招致辞退のみを公約に掲げた32歳の男性新人を擁立。4月26日に行われた市長選でオリンピック招致を推進する現職の本山政雄が3選を果たすと、影山はその直後の5月に「反オリンピック研究会議」を設立した。9月30日、IOC総会で決選投票が行われ、開催地はソウルに決定した。
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