吉良満義
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吉良 満義(きら みつよし)は、南北朝時代の武将。信濃国守護。三河国西条城主。
注釈
- ^ 一族である吉良貞家も三番頭人に任命されている。
- ^ 『師守記』興国6年(1345年)6月20日条。
- ^ 『太平記』では直義救援のため京都から関東へ下る尊氏の先鋒として満義の名を挙げているが、同じ『太平記』の別版では直義とともに鎌倉を落ちたとされている。
- ^ 『市河倫房軍忠状』より前述の吉良時衡が同国守護代に就いていたと考えられる。
- ^ 正平2年/貞和3年(1347年)4月の花岳寺(愛知県西尾市吉良町岡山、東条に属する)開創は、満義の命によると考えられている。
- ^ 正平6年/観応2年(1351年)11月20日付け『土岐右馬権頭頼康宛足利尊氏書状』。尊氏の関東下向の際、吉良勢が三河でその進軍を妨害した際の書状。
- ^ 尊氏が長年反抗を続けた満貞の帰順を許さず、やむなく満義のみ帰順したとする見方もある。
- ^ 記録には「左兵衛督」「右兵衛督」「左兵衛佐」とあり、観応2年6月17日までの「左京大夫」から変化している。ただし「左兵衛督」は足利氏の官途であり、当時の記憶を持つ今川了俊が著した『難太平記』は満義を「右兵衛督」と記しているので「右兵衛督」であったとみている。(『新編西尾市史』391ページ)
出典
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