吉益東洞とは? わかりやすく解説

よします‐とうどう【吉益東洞】

読み方:よしますとうどう

[1702〜1773]江戸中期医学者安芸(あき)の人。名は為則。字(あざな)は公言通称周助古医方学び万病一毒説、また診察重要性主張。著「類聚方」「徴」など。


吉益東洞

読み方よします とうどう

江戸中後期医者広島生。名は為則、字は公言通称周助初号を東庵。京都出て開業古医方唱えた認められ貧窮苦しむが、山脇東洋知遇得て世に認められ名医として名を馳せた。「万病一毒説」「親試実験」の主張蘭学以前実験医学として注目される著述に『類聚方』『方』『徴』などがある。安永2年(1773)歿、72才。

吉益東洞

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/03 03:03 UTC 版)

吉益 東洞(よします とうどう、元禄15年2月5日1702年3月3日)- 安永2年9月25日1773年11月9日))は、安芸国山口町(現在の広島市中区橋本町付近)出身の漢方医で、古方派を代表する医であり、日本近代医学中興の祖である。名は為則、通称は周助。はじめ東庵と号し、のち東洞。


  1. ^ 田尻佐 編『贈位諸賢伝 増補版 上』(近藤出版社、1975年)特旨贈位年表 p.37
  2. ^ 『吉益家門人録』


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