吉田政重
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/12/14 07:06 UTC 版)
吉田 政重(よしだ まさしげ)は、安土桃山時代から江戸時代前期にかけての武将。長宗我部氏の家臣。
- ^ 『土佐物語』巻第十三「中富川合戦の事」に、中富川の戦い(1582年)の時点では名乗っていないが、後に改名したと記す。
- ^ 『土佐物語』巻第十三「中富川合戦の事」。巻第十七「山内七郎兵衛妻女の事」に、文禄3年(1594年)、元親勢が生け捕った380余人と共に土佐へ行くが、朴好仁は秋月城主であったことから秋月氏と呼ばれた(脚注に、「のちに妻子を残し、帰国」とある)。
- ^ 『土佐物語』によれば、虎は2発の鉄砲玉を受けても死なず、政重が首を斬りつけても、逆に首をかんで(兜で防いだ)、喉を七刀で刺し、止めをさした。長宗我部元親は感状と康光の刀を与え、『日本書紀』の虎退治をした大将の逸話から、「その者に劣らないので、虎の爪を切りとり、土産とせよ」と言い、吉田家に江戸時代になっても伝えられていると記す。
- ^ 『土佐物語』巻第十三「中富川合戦の事」。
[続きの解説]
「吉田政重」の続きの解説一覧
- 1 吉田政重とは
- 2 吉田政重の概要
固有名詞の分類
- 吉田政重のページへのリンク