合骨咄禄毘伽可汗とは? わかりやすく解説

合骨咄禄毘伽可汗

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/21 02:48 UTC 版)

合骨咄禄毘伽可汗(こうこつとつろくびがかがん、拼音:Hégŭduōlùpígā Kĕhàn、? - 789年)は、回鶻可汗国の第4代可汗。氏は薬羅葛(ヤグラカル)氏、名は不明。牟羽可汗の従兄。初めは頓莫賀達干(トン・バガ・タルカン)という称号をおびて宰相の地位にあったが、牟羽可汗を殺して自ら即位して合骨咄禄毘伽可汗(アルプ・クトゥルグ・ビルゲ・カガン)[1]と称した。その後、から武義成功可汗の称号と汨咄禄長寿天親毘伽可汗の称号を賜った。


  1. ^ アルプ・クトゥルグ・ビルゲ・カガン(Alp qutluγ bilgä qaγan)とは「勇猛にして幸を得たる賢明なるカガン」という意味である。
  2. ^ この時、頓莫賀達干はソグド人とともにマニ教をも迫害したとされる。これ以降、第6代奉誠可汗(在位:790年 - 795年)の代までマニ教の迫害が続き、第7代懐信可汗(在位:795年 - 805年)の代になってようやくマニ教が復活し、回鶻の国教となる。
  3. ^ この事件は大暦14年(779年)の頓莫賀達干によるソグド人迫害によるものであろう。
  4. ^ この文は『新唐書』のものであるが、『旧唐書』では元和四年(809年)としており、それは第8代保義可汗(在位:805年 - 821年)の時代である。


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