口羽通良
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口羽 通良(くちば みちよし)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。毛利氏の重臣。父は毛利氏の執政を務めた志道広良。毛利元就、隆元、輝元の三代に仕え、輝元の代には吉川元春、小早川隆景、福原貞俊と共に御四人の一人に数えられる。初めは「志道」の名字を名乗ったが、後に石見国邑智郡口羽村[注釈 1]を領し、琵琶甲城を居城としたことから、在名を取って「口羽」を名字とした[6]。
注釈
- ^ 現在の島根県邑智郡邑南町上口羽・下口羽。
- ^ 口羽通良の出自を、志道元良の次男で志道広良の弟とする説もある[6][7]が、志道元良は通良が生まれる前の明応9年(1500年)7月14日に死去している[3]。
- ^ 「通良」と改名する前の諱は不明。
- ^ この起請文において諱も記している36人の重臣は署名順に、福原貞俊、志道元保、坂広昌(元貞)、門田元久、秋広就正、和智元俊、福原就房、桂元忠、桂就延、兼重元宣、渡辺長、赤川就秀、国司元相、粟屋元真、粟屋元親、粟屋元秀、赤川元秀、飯田元泰、粟屋元宗、井上元在(元光)、赤川元保、光永元方、長屋千太郎、福原元正、志道元親、桂元親、坂保良(元祐)、志道元信、志道通良(口羽通良)、桂元澄、敷名元範、南方元次、内藤元種、秋山元継、三田元親、井原元造。
出典
- ^ a b c d e f g h i j 近世防長諸家系図綜覧 1980, p. 252.
- ^ a b c 近世防長諸家系図綜覧 1980, p. 150,252.
- ^ a b c d e 近世防長諸家系図綜覧 1980, p. 149.
- ^ a b c d e f g h 近世防長諸家系図綜覧 1980, p. 150.
- ^ a b 近世防長諸家系図綜覧 1980, p. 253.
- ^ a b c d e f g h 舘鼻誠 1996, p. 259.
- ^ 『閥閲録』巻32「口羽衛士」、口羽氏系譜。
- ^ 毛利元就卿伝 1984, p. 87.
- ^ 毛利元就卿伝 1984, p. 99.
- ^ 『毛利家文書』第401号、天文19年(1550年)7月20日付、福原貞俊以下家臣連署起請文。
- ^ 『毛利家文書』第402号、弘治3年(1557年)12月2日付、福原貞俊以下家臣連署起請文。
口羽通良(くちば みちよし)
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