参議院議員選挙(2007年)での敗北
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/11 14:49 UTC 版)
「安倍晋三」の記事における「参議院議員選挙(2007年)での敗北」の解説
詳細は「第21回参議院議員通常選挙」を参照 2007年7月29日の第21回参議院議員通常選挙へ向けての与野党の舌戦開始早々、自殺した松岡の後任である赤城徳彦農林水産大臣にもいくつかの事務所費問題が発覚。選挙中に発生した新潟県中越沖地震では発生当日に遊説を打ち切り現地入りした。同年の参議院選挙では「年金問題」の早期解決を約束し、「野党に改革はできない、責任政党である自民党にこそ改革の実行力がある」とこれまでの実績を訴えた。選挙前、安倍は「そんなに負けるはずがない」と楽観視していたとも言われるが、結果は37議席と連立を組む公明党の9議席を合わせても過半数を下回る大敗であった。小沢一郎の地盤の東北地方や保守王国の四国地方で自民党が全滅、勝敗を左右する参議院一人区も、軒並み民主党候補や野党系無所属に議席を奪われた。
※この「参議院議員選挙(2007年)での敗北」の解説は、「安倍晋三」の解説の一部です。
「参議院議員選挙(2007年)での敗北」を含む「安倍晋三」の記事については、「安倍晋三」の概要を参照ください。
- 参議院議員選挙での敗北のページへのリンク