北原稲雄とは? わかりやすく解説

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北原稲雄

読み方きたはら いなお

国学者座光寺村名主通称吉・林右衛門、名は信質、号は八束穂・鏑廼舎。因信の子信濃伊那郡生。福住清風岩崎長世富樫広蔭平田鉄胤師事片村春一と共に平田篤胤著書弘仁歴運記考』『古史伝』を刊行筑摩県少属・同中属を歴任著書に『信濃路』『鎮廼舎歌集』がある。明治14年(1881)歿、57才。

北原稲雄

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/08/06 17:38 UTC 版)

北原 稲雄(きたはら いなお、文政8年2月3日1825年3月22日)- 明治14年(1881年10月2日)は、幕末から明治前期にかけての国学者歌人信濃国伊那郡座光寺村(現、長野県飯田市座光寺)の名主庄屋)。幼名は照吉のち信質。通称は林右衛門森右衛門。号は八束穂鏑廼舎(かぶらのや)[1]




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