勝井騒動
勝井騒動
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/01/28 00:26 UTC 版)
「日新館 (対馬府中藩)」の記事における「勝井騒動」の解説
日新館は尊王攘夷派の大浦教之助の建議で創設され、家老の古川将監を総裁として学頭に大浦遠を置いた。日新館が設立される前にも、対馬藩には8歳から15歳までの者を対象とした小学校と15歳以上の者が通う思文館とがあったが、日新館の発足に際しては思文館が併合された。 日新館での教育は、政治や政策についても論じ、献策もするという急進的なもので、この教育を受けた藩士は200名にもおよび、まもなく尊攘派の拠点になった。しかし、これ以前からの移封論や尊皇攘夷をめぐる国内情勢の影響で、創設年には佐幕派の勝井五八郎らによって、日新館派はわずか数名を残して百余名が殺害、処刑され、あるいは自害に追い込まれて壊滅し(勝井騒動)、日新館は廃止された。
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