創立者と本学院の発祥
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「福島学院大学短期大学部」の記事における「創立者と本学院の発祥」の解説
本学院は、昭和16(1941) 年2 月15 日に、菅野八千代(1914~2004)が福島県の認可を得て福島市栄町(福島駅前地区)に設立した福島高等洋裁学院がその発祥である。菅野八千代は、杉野ドレスメーカー女学院や、山脇服飾美術学院で学び、東北の洋装文化の発展を目指し、洋裁教育を通じて婦人の教養及び社会的地位の向上を目指した。戦後混乱期には県内各地でファッションショーを開催し、女性の自立に繋がる洋裁の振興を通して社会への貢献を続けた。さらに、県内に4 校の分教場を設けることによって、洋装文化の向上と浸透に努めた。福島高等洋裁学院は昭和24(1949) 年に私立学校法により財団法人となり、官立福島師範学校教員であった夫の菅野慶助(1907~1991)も経営に参加し、昭和51(1976) 年3 月には、学校法人福島ドレスメーカー専門学校と改称した。昭和60 (1985)年4 月に福島女子短期大学服飾美術科に創立の理念を引き継ぐまで、卒業生は2 万人を超え、教育をとおした女性の社会的地位向上と社会文化の向上を目指した創立者の志は現在にまで引き継がれている。この間、菅野慶助は高等教育機関を設立を昭和38(1963) 年から進め、昭和40(1965) 年度に保育科の設置認可申請、昭和41(1966) 年度に福島女子短期大学(現.短期大学部)を開設したことが、現在の福島学院大学へとつながっている。
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創立者と本学院の発祥
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「福島学院大学」の記事における「創立者と本学院の発祥」の解説
本学院は、昭和16(1941) 年2 月15 日に、菅野八千代(1914~2004)が福島県の認可を得て福島市栄町(福島駅前地区)に設立した福島高等洋裁学院がその発祥である。菅野八千代は、杉野ドレスメーカー女学院や、山脇服飾美術学院で学び、東北の洋装文化の発展を目指し、洋裁教育を通じて婦人の教養及び社会的地位の向上を目指した。戦後混乱期には県内各地でファッションショーを開催し、女性の自立に繋がる洋裁の振興を通して社会への貢献を続けた。さらに、県内に4 校の分教場を設けることによって、洋装文化の向上と浸透に努めた。福島高等洋裁学院は昭和24(1949) 年に私立学校法により財団法人となり、官立福島師範学校教員であった夫の菅野慶助(1907~1991)も経営に参加し、昭和51(1976) 年3 月には、学校法人福島ドレスメーカー専門学校と改称した。昭和60 (1985)年4 月に福島女子短期大学服飾美術科に創立の理念を引き継ぐまで、卒業生は2 万人を超え、教育をとおした女性の社会的地位向上と社会文化の向上を目指した創立者の志は現在にまで引き継がれている。この間、菅野慶助は高等教育機関を設立を昭和38(1963) 年から進め、昭和40(1965) 年度に保育科の設置認可申請、昭和41(1966) 年度に福島女子短期大学(現.短期大学部)を開設したことが、現在の福島学院大学へとつながっている。
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