初演およびその後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/26 10:08 UTC 版)
「ヘンリー八世 (オペラ)」の記事における「初演およびその後」の解説
パリ・オペラ座で1883年3月5日に行われた初演は、ガブリエル・クラウスの主演で、念入りに作られた、極めて密度の高い作品として、非常な成功を克ちえた。「このように初演は決め手となったのだが、とうとうシーズンの一大事件となり、国際的なジャーナリズムにより多少とも詳しく論評された。-中略-しかし『ヘンリー八世』の大成功-〈私が出会った音楽の中で最も驚くべき作品のひとつだ〉(『ラ・ヌーヴェル・ルヴュ』におけるシャルル・グノー)-は、そうこうする間に47歳になったサン=サーンスにとっての突破口をもたらすものであり、異論の余地のない事実であった」。これにより、サン=サーンスはパリでオペラ作曲家として認知されるようになった。なお、『サムソンとデリラ』がパリで上演されたのは1892年であった。1889年 7月14日にはロンドンのコヴェント・ガーデン王立歌劇場にて英国初演がマンティネッリの指揮、モーリス・ルノー(ヘンリー八世)、リナ・パカリー(キャサリン)、メリアヌ・エグロン(アン)ほかの配役で行われた。『ヘンリー八世』は1919年まではパリ・オペラ座のレパートリーに残っていた。第一次大戦後、最初にパリ・オペラ座で上演されたのは、このオペラだった。
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