初期の設計
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/09/05 06:03 UTC 版)
「ケネディ宇宙センター第39発射施設」の記事における「初期の設計」の解説
1963年の発射施設の初期構想では、5基の発射台 (39A - 39E) が、発射台での爆発などの損害を避けるために、8,700フィート (2,700 m)間隔で均等に配置されることになっていた。そのうちの3基 (39A・39B・39C) は実際に建設する計画が持ち上がったが、残る2基は保留となった。当時、発射台の番号は北から南へと順につけられており、北端が39A、南端が39Cであった。ところが、この39Aは結局建設されることはなく、のちに当初の39Cは39Aに名称変更された。それ以後、北側が39B、南側が39Aとなっている。現在の39A・39Bの2基態勢が整ったのは1965年のことであった。右図の当初計画案では、建設されなかった核組立棟 (Nuclear Assembly Building; NAB) の存在も確認できる。
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