初の甲子園ボウル出場とは? わかりやすく解説

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初の甲子園ボウル出場

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/02 04:39 UTC 版)

京都大学ギャングスターズ」の記事における「初の甲子園ボウル出場」の解説

1977年シーズン後、水野総監督となり、指導第一線から退く後任には笹原明雄が就任パス攻撃への転換図った浸透せず、1979年には、関学同志社敗れ近大引き分けて4位に沈む。 1980年には水野監督復帰RB松田明彦活躍により関学に35-28で5年振り勝利する。しかし、同志社近大敗れて3位に終わる。1981年には水野監督専任するが、関学48-0惨敗し2位終わった1982年は春の関京戦試合中不慮の事故部員死亡苦し状況で秋のシーズン迎えた下馬評決し高くなかった京大であったが、全勝同士最終節関学戦を迎える。この試合は、京大守備関学攻撃封じ17-7京大勝利京大2回目優勝(初の単独優勝)を決め悲願甲子園ボウル出場決めた関学1949年からの甲子園ボウル連続出場33で、1948年からの連続優勝34途切れた初出場となった甲子園ボウルでは4連覇中の日大に28-65で一蹴されたものの、チャック・ミルズ杯は、リーグ1000ヤードラッシャーを達成甲子園ボウルでも未だに最多ラッシング記録となる312ヤード記録したRB松田主将受賞した1983年も再び最終節関学全勝対決となった京大QB大社充のパスTD量産、30-14と前半リードすると、後半登場した関学QB小野宏(関学コーチ2013年現在)の攻撃TD2本で凌ぎ、30-28の僅差勝利リーグ戦2連覇達成した京大勢い乗って甲子園ボウルでは5連覇中の日大ショットガン攻撃封じて、30-14で勝利して初優勝、更にこの年度から日本選手権となったライスボウルではレナウンローバーズに29-28で勝利して初代日本一輝いた

※この「初の甲子園ボウル出場」の解説は、「京都大学ギャングスターズ」の解説の一部です。
「初の甲子園ボウル出場」を含む「京都大学ギャングスターズ」の記事については、「京都大学ギャングスターズ」の概要を参照ください。

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