慶長出羽合戦
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慶長出羽合戦(けいちょうでわかっせん)は、慶長5年(1600年)出羽国で行なわれた上杉景勝(西軍)と最上義光・伊達政宗(東軍)の戦いで、「北の関ヶ原」といわれる。東軍が勝利した。
注釈
- ^ ただし片桐繁雄(山形大学教育学部学士、元最上義光歴史館事務局長)は、関ヶ原以後この和睦交渉が問題となっていないことや、後世の軍記などに取り上げられていないことから、この説を否定している[2]。
- ^ 一説には上山氏の室町期からの居城であり山城の高楯城から出撃したともいう。
- ^ 遠藤ゆり子(立教大学大学院文学研究科博士課程後期課程修了(文学博士)。淑徳大学人文学部准教授)は以下のように論じている。『治家記録』は後世の編纂物であり全てが事実であるとは言い切れないものの、義姫(保春院)からも政宗や留守政景(義姫にとっては義弟)に支援を求める働きかけがあったことが確認でき、また現実問題として上杉氏が最上領を併呑すると伊達領が挟撃され、西軍側に寝返る大名家が出る可能性があったため、最上氏支援の判断に踏み切ったと考えられる[3]。
出典
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