内野村とは? わかりやすく解説

内野村

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/27 09:07 UTC 版)

内野村(うちのむら)




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内野村

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宮前町 (さいたま市)」の記事における「内野村」の解説

江戸期足立郡植田谷領に属する内野村で、古く内野水判土荘属していたと云われている。村高は『元禄郷帳』では123石余、『天保郷帳』では123石余であった助郷中山道大宮宿出役していたが、正徳安永年間日光御成街道大門宿にも出役していた。化政期戸数24軒で、規模東西10町、南北6町であった初め幕府領1682年天和2年)より一部知行旗本新見氏1697年元禄10年)より残り幕府領旗本中山氏および大沢氏相給となる。なお、検地1697年元禄10年)に実施1828年文政11年)より大宮宿寄場55村組合所属していた。 1869年明治2年12月2日 - 旗本領が上知され、浦和県管轄となる(府藩県三治制参照)。 1871年明治4年11月13日 - 埼玉県管轄となる。 1879年明治12年3月17日 - 郡区町村編制法により成立した北足立郡属すそれに伴い郡内同名所在現・川市大東内野)したことから西を冠称して西内野改称1889年明治22年4月1日 - 町村制施行に伴い西内野村・上内野村・櫛引村西谷村上加村下加村大成村合併し日進村発足日進村大字西内野となる。 1940年昭和15年11月3日 - 大宮町三橋村日進村宮原村大砂土村合併し大宮市発足大宮市大字となる。

※この「内野村」の解説は、「宮前町 (さいたま市)」の解説の一部です。
「内野村」を含む「宮前町 (さいたま市)」の記事については、「宮前町 (さいたま市)」の概要を参照ください。

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