光文事件
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光文事件(こうぶんじけん)は、1926年(大正15年)12月25日に大正天皇が崩御した際、「大正」の次の元号をめぐって起こった誤報事件である。
- ^ 昭和改元で大誤報、新聞博物館(熊本日日新聞)
- ^ ご存じですか? 世紀の大誤報『元號は「光文」』【ひでたけのやじうま好奇心】、ニッポン放送「高嶋ひでたけのあさラジ!」、2016年8月17日
- ^ 城戸は後に大阪毎日新聞編輯主幹に復帰。
- ^ 『日本新聞年鑑 昭和3年版』、30-31頁
- ^ 『日本新聞年鑑 昭和3年版』、38頁
- ^ 『毎日新聞百年史』、154頁
- ^ 『サンデー毎日』1961年4月2日号。
- ^ 内閣大礼記録編纂委員会編『昭和大礼記録』第二輯「践祚改元」
- ^ 石渡隆之「公的記録上の『昭和』」『北の丸―国立公文書館報』第7号、国立公文書館、1976年9月、3-15頁、doi:10.11501/3466869。
- ^ 「倉富勇三郎日記」大正15年12月8日条『倉富勇三郎関係文書』
- ^ “元号伝説 - ポスト「大正」は「光文」か?”. 資料にみる日本の近代. 国立国会図書館. 2024年5月17日閲覧。
- ^ 「元号建定ノ件」『枢密院御下附案・大正十五年・巻坤』、枢密院、1926年12月25日。
- ^ 【#平成】〈1〉新元号発表会見の裏側…流行語「24時間タタカエマスカ」 - スポーツ報知
- ^ “発表35分前、元号「平成」を入手 しかし、号外は出されなかった | 取材ノート | 日本記者クラブ JapanNationalPressClub (JNPC)”. 日本記者クラブ JapanNationalPressClub (JNPC). 2022年5月14日閲覧。
- ^ 「大化」以降、全ての元号で音読みが採用されており、訓読みが正式名称として採用された事例は無い。「旭日」を「あさひ」と読む場合は訓読みとなるため、採用はまず有り得ない。
- ^ 『噂の眞相』昭和64年1月号 一行情報
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