作品の着想源
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1902年10月13日付けの読売新聞の記事で藤島自身が語るところによると、藤島はこの作品発表の前年の1901年、奈良を訪れて仏像、仏画などを見て回り、正倉院宝物の「箜篌」(くご)を見る機会もあって、天平時代に空想をめぐらし、本作品の着想に至ったという。 本作品は、当初『天平時代の婦人図』という題名で1902年(明治35年)の白馬会第7回展に出品された。画面には金地の背景に、箜篌という古代の撥絃楽器を手にして立つ女性が描かれている。女性は薄青紫の上衣と赤と紫の縦縞の長袴を着用し、花咲く桐の木の前に立っている。天平時代に題材をとってはいるが、何か特定の史実や歴史的場面を厳密な考証によって再現したものではなく、古代への憧憬から自由に想像をふくらませて絵画化したものである。
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